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「木に縁りて魚を求む」 [覚え]

ウィキペディアから【 岸田はこの記者会見で今回の国葬の費用は全額国費で賄う見通しであること、内閣府設置法に基づき、閣議決定を根拠に国葬を実施することができることを説明した。

7月22日、同日の閣議において9月27日に日本武道館で故安倍晋三国葬儀(こあべしんぞうこくそうぎ)という名称で、無宗教形式で国葬を行うことを決定した。 】

 2億5千万円で実施されるという国葬は、実は国葬儀らしい。「儀式だから国葬とは言えない。」「言わなくてよい。」「説明する必要はない・・」

 しかも無宗教で・・よく言われる【「私は無宗教です」と言ったら、諸外国では怪しい人!】という論理はここでは通用しないのだろうか?国葬に参列したら、な~んと無宗教形式だった・・それで通ると言うならば、なんともお花畑な話ですね。



 アベ氏と統一協会の関係も取りざたされていますが、ジミントウは自分たちの利権が確保されるならば何でもありなんだから、反共で利害が一致する限りどこまでも同じ船に乗るでしょう。

 思い出すのは、カーチス・ルメイという米国軍人の「東京大空襲と戦後の叙勲」です。

 彼は東京他全国の都市を空襲し、50万人を超える日本人を無慈悲に殺す計画を企画実行したにも拘わらず、戦後航空自衛隊を育成した功績で佐藤栄作首相当時に、勲一等旭日大勲章を受章。

 真に日本人の誇りがあるなら、私なら、そんなことはしない。できないでしょう!

 ジミントウって、もともとそういう党なんですよ。彼らに誇りを求めるのが間違っているのです。

 そういうのを「木に縁りて魚を求む」っていうんでしたっけ?持ってないものを求めたって無理です。都合の悪いことはすぐ忘れるし

 浄土宗で葬儀をしながら国は無宗教形式でまた執り行う。わが身の利害しか関心がなく、魂のことに無頓着も甚だしい国が美しいなんて、笑えます。





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超越的なものとの回路 [覚え]

東スポから
【 国葬に異を唱える一部野党などについて「インテリジェンスがない。形式的な概念にこだわるのは日本人のある種の人達の悪いところ。異論を言うのはいいが、プラティカルに考える必要がある」と訴え「国葬するしないは重大なイシューではない。人柄や功績をしのぶ場としてやればいい」と淡々と語った。 】 

茂木健一郎氏にしてこの程度の「国葬」認識であることに、ため息が出ます。人柄や功績をしのぶ場ならば、葬儀である必要はどこにもありません。日本のインテリの宗教認識の底の浅さが露呈するこの頃ですね。


内田樹氏は、「日本の覚醒のために」の中で
P094から

「武道というのは、強大な野生の力を、調えられた身体を通じて発動してゆくための技術です。超越的なものと触れ合うことのできる感受性の高い、調えられた身体を構築するのが武道修行です。本来きわめて宗教的なものです。ですから、道場には、神棚であっても、仏壇であっても、十字架であっても、とにかく「超越的なものとの回路」が存在する必要がある。人間世界と外部と繋がる回路の記号がなくては済まされない。それがない道場というのは、いわば本尊がないお寺、ご神体のない神社、十字架のない教会のようなものです。でも、日本の公共施設の武道場はそれがないんです。何もない。道場なのに「超越的優位との回路が存在しない。そのようなものが否定されている。」

武道修行ですら「超越的なものとの回路」が存在する必要があると主張しています。まして、国が威信をかけて行う葬儀の場に、そのような「超越的なものとの回路」が存在せず、執り行う祭祀者がいないならば、とんだ茶番です。祭祀者は誰なんでしょう?もちろん喪主としての国が同時に祭祀者なんてことはあり得ませんね。


人柄をしのぶのに国葬?
夢は寝て言えくらいのほのぼのとした情緒的感想です。



そもそも
「外交で功績があった」と言われるけれど、具体的に言える内容は何かありますか?

「外交はすぐに効果は出ない。10年くらいは後でないと」なんて言われるとしたら、もしアベ氏の功績があったとしたそれは彼以前の方の功績でしょうし、今めぼしいものが言えないなら、「外交のアベ」なんてもてはやされること自体がおかしい。





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不謹慎 [覚え]

日刊ゲンダイデジタルから【 安倍元首相銃撃で事実や論理をねじ曲げヨタ流す“いかがわしい連中”の不謹慎 】


なんでも利用できるものは利用し尽くす人たちはどこにでもいるけれど、です。「私怨」だと表明したにも拘わらず、政治テロだと言い募り、果ては民主主義を守るために!などと言い出す。

民主主義なんか嫌いなくせに!




国葬なんて、国教がない限りあり得ないのですが、彼らはそんなことは構っちゃいない。悼むことが葬儀だと勘違いしている人たちや、京大卒のインテリ芸人でも【 安倍元首相の国葬是非に「議論をすること自体に危機感」「分断しか生んでいない」】なんてバカ言ってるし・・・




アベ氏の最大の罪を言えば

「単なる一政権が、閣議決定で憲法解釈を変更できる道を開いたこと」

これに尽きるのではないですか。

これを民主主義の危機と言わずして何が民主主義の危機なのか?

そういう意味では、戦後最悪の政治家でしょう。



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形をしっかりと整えている人 [覚え]

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 スマホで回ってきたアベ元首相宅と思われる仮の祭壇には、上皇や天皇陛下の生花とお供物が供えられていました。
 とても仮の祭壇と言えるようなしつらえではなく、お供物は三宝に乗せて、畳の上に平に置かれているように見えます。毛氈とか何か引き物も敷いていません。保守に言わせれば、不敬の極みでしょう・・・仏壇も見えませんし、浄土宗のご本尊である阿弥陀様も祀られているようには見えません。アッケラカンと、普通のサラリーマン家庭のようです。あえて言えば、普通のサラリーマンの方がもっと気が利いて注意して祀るのではないかと思います。天皇上皇陛下のお供物がなくても、ですよ。

 葬儀屋さんがまったく気が利かないのかもしれないし、夫人がそういうしつらえを指示したのかもしれませんが、宗教的な匂いが全くしない画像に、私は違和感を覚えます。「保守」って、国の中心を定め、心の中心を内にもち、形をしっかりと整えている人のことなのではないですか?


 秋に「国葬」とか言われていますが、増上寺で営んだ葬儀を改めてする必要があるのかどうか。

 葬儀は、宗教儀式ですから導師か司祭か牧師か神主かがいて・・浄土か天国かへと、魂を導く方がいてこそ成り立つものです。宗教者であるならばそういう認識が基本であり普通です。

 一般の方が思われている葬儀で「弔辞を読むこと」は、葬儀後の告別式にあたります。今回の「国葬」も弔辞を読んでおそらく菊の花を手向けるのでしょうが、それはお別れであり告別式でしかありません。

 国教がない以上、国葬で特定のご本尊を奉安することはないでしょうし、できませんね。菊の花をお供えするのは神道形式なのでしょうが・・

 「国葬」 という名を使う以上、すべての宗教者は「本尊がないのは、それはおかしい!」「中心はなんや?!」と声を上げなければなりませんね。安部家は浄土宗で送って国が他の宗教を選択するなら、冒涜以外の何物でもありません。

 国葬ということが、無理があるということ。

 政治稼業の人たちは宗教に鈍感ですね。宗教政党・公明党はなんで反対しないのだろう?





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 アベさんに手向けます。
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まれにみる [覚え]

アベ氏を語るときに皆口をそろえて「外交で成果をあげられて」と言われるけれど、

外交で見るべきものがあるとしたら、ODAを中心とした「金で解決できるならお金をどうぞ!」の

姿勢しか思い浮かばない。ODAならば、日本企業が関わることによって国内へ還流されてくる

経済界を潤す政策だから、財界関係者は外交の成果だと言えるだろうが。一般国民にはなんの

関係もない話である。



おそらく彼の一番の功績は

「いかに国民の金を掠めとるかという方策を整え、

命を安く国家という体制のために使えるようにしたか」

だろう。


TPPで農業を潰し、巨大外国企業に種苗を握らせ

法人税減税・消費税増税・国民年金のマクロスライド制導入・年金基金の投資運用率アップ

非正規雇用を常態化し

教育基本法改正と集団的自衛権行使の閣議決定・安全保障法制の策定・特定秘密保護法の策定。
を成し遂げ



議事録を作らず、作れば作ったで改ざんし

国会では堂々と、認定されただけでも108回のウソをつき

官僚を忖度させ使役し・・もとい・・私役し



結局

彼がやり遂げたことは

「国民をいかに自分たちのために使えるようにと」改革したか。


その点では、戦後まれにみる腕の良さだったと思う。時代が彼を作ったのかもしれないし

使われることの喜びに目覚めた人たちが、祭り上げたためでもあると思う。


自己犠牲は場合によっては尊いことだけれど、人に強制すればやはり道を誤ることになると、

私は思う。

人は間違うものだから。



正常な保守主義者は「人は間違うものだから、人よりもそれまで積み重ねてきた体制を優先する」

のだそうだ。


その理屈で言えば、イシンもジミンもサンセイも、革新である。


アベ氏は保守ではないし、偉大な憲政家でもない。

棺を覆って言えるのは、

国会でも徹底して嘘をついて良いことを証明した政治稼業者であり

「森羅万象を担当する」と豪語した人であるということ。。



戒名は
紫雲院殿:紫雲たなびく、名僧などに付く冠
政誉:長期政権の総理大臣
清浄:少しもけがれがなく清らかなこと
晋:安倍元首相の名前から。念仏信者であることを表す   どうしてこれが念仏信者を表すのか?
寿:願い


何のひねりもない普通の戒名じゃないですか?
清浄? 彼の生前の業を反映しているとは思えません。


閻魔様に会うのが怖くなる戒名を頂きましたね。





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質問されても答えられないから [覚え]

J-CASTニュースから

【 池上彰も思わず「はぁ?」  生稲晃子氏「選挙特番は全局拒否」に呆れる声相次ぐ 】


 理由は「質問されても答えられないから」なんだとかどうとか。代議士先生は質問に答える能力と質問する能力と、実行する情熱というか思いがないとダメでしょう・・・

 まさにはぁぁなため息が出るジミントウ

 誰かが言った「こんな人たちに負けるわけにいかない」思いを強くしました。


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陽性者に [覚え]

世の中元首相の暗殺事件で右往左往している中ですが

私は私でまさかのコロナ感染で隔離状態になってしまいました。


昨日は37℃後半から38℃くらいまで上がったり下がったりでしたが

味覚障害も意識が朦朧とすることもなく過ごせました。

ただつばを飲み込むにものどが痛くてしかたないという状態で

ほぼインフルエンザの症状と一緒のようです。

現在は36℃から37℃前半台まで落ち着いてきています。




どこからなのか誰からなのか、まったくわかりません。

皆さまもお気を付けください。

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うそつきは [覚え]

ジミントウが嘘つきなのは今に始まったことではないが

【 日本国憲法の3原則は変えません ・国民主権 ・基本的人権の尊重 ・平和主義 】

表現を変えているのに主旨は変わらないと言う。一字でも変われば全く別の使用ができるという法律の世界で「どの口が言う?」な話です。代議士先生自身、自分を国民だと思っていないから、主権とか人権を尊重され、他者から尊重され愛される存在だと思っていないんですね。

仏教では「愛は渇愛」と言って、飢えた人が水を欲しがる様子に例えますが、彼らの愛はまさにその自己愛のわが身を滅ぼすような尊大さのように見えます。他者に向くことがない愛、ですね。慈悲と無縁の人たちのように感じます。




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現実を [覚え]

東洋経済オンラインから【 財務省が戦車の有益性を辛辣に指摘した真の意味、現実を直視した「真に有効な防衛力」の議論はできているか 】


ロシアのウクライナ侵攻で勢いづく「軍事力増大せよ派」

もっとしっかり足下を固めないとダメだろという主張は筋が通っていると思います。

何よりもかによりも、真に国民を大事にし愛する政治姿勢が必要です。口先だけの政治屋さんは心を見透かされています。国民もバカじゃありませんからね。
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一一の文文は是れ真仏なり  [覚え]

 私たちの宗旨日蓮宗では、宗祖が認められた『法蓮抄』の中に

「天台云 一一文文是真仏 真仏説法 利衆生等」とあり

「天台大師の曰く 一一の文文は是れ真仏なり 真仏の説法は 衆生を利す」と読み伝えられ、法華経の一つ一つの言葉、一句一偈はそれぞれが仏であると教えられています。また民俗的神道的にも祝詞=「言霊信仰」=言葉に魂が宿るということが、信じられてきました。それだけ、言葉は疎かにしてはいけない大事なものとして大切に扱われ、言葉こそが神仏と私たちを繋ぐ鍵だったと言えると思います。


ところが、「美しい国日本」を掲げる一政治屋さんによって言葉は怪奇な無残な姿に変えられ、信じることを無意味にしてしまいました。神仏と人とを繋ぐどころか、人と人を繋ぐ力さえ失わせる彼の乱暴な使用によって、誤解や偏見さえ生み出すものになってしまったのです。

もちろん彼だけが異常なのではなく、そういう言葉を乱発して思考や思索、信用という行為を貶めることに何のためらいもなく信頼の票を投じ、ネットでバックアップしている有権者や国民が少なからずいることが、力の源泉であり、異常の基なのです。

彼を支持することによって思想的に有利に立とうと考える人もいるでしょうし、経済的に潤うならば何でも構わない人もいるでしょう。多分後者の方が多いのでしょうが。

しかし

「ロシア侵攻になぜアベ氏は直接外交努力としての調停を仕掛けないのか」という政治家や国民の問いに、彼を支持する人たちがその提言を一顧だにしないのは、実は彼の力量も思想も言葉も信用していないからではないでしょうか。支持はするけど信用はしていない。まして信頼なんかとんでもない。アベという素の人間がどれだけのことをやれるのか、に対してまったく期待していない。

言葉を軽んじるアベという人の薄っぺらさがあり、恐るべきは、アベ的国民も大量増殖しているということ。人間性がはっきりと見て取れる人たちは利用するだけ。


「一一の文文は是れ真仏なり 真仏の説法は 衆生を利す」
言葉を語るのは人間である私たちです。語る言葉を真実たらしめるのも私たちです。少なくとも、そこに近づこうとしなければ人間生活は成り立ちませんね。




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トキハツユクサ


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ハクチョウゲ


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多肉草の花

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