しゃくそんごうたんえ 釈尊降誕会 [法要]
法要を営み
お勤め後は山門へ移動して道行く方にお詣りしていただきます。
きょうはデザートにドラ焼きをつけてみました。
竹の子ご飯とアサリの吸い物
「例せば釈尊は天の一月、諸佛菩薩等は万水に浮かぶ影なり。釈尊一体を造立する人は十方世界の諸佛を作り奉る人なり。譬えば頭を振れば髪揺るぐ、心はたらけば見動く、大風吹けば草木静かならず、大地動けば大海騒がし。」
FB上では、「4月8日には3食カレーを食べて降誕会を祝いましょう」というグループ提案があってました。そういう楽しい?おもしろい?話題でもないと、お釈迦樣の誕生日は日常の中に埋没してしまいますね。決してカレー屋さんの回し者ではありません(^_^)
第739遠忌法要と支援の [法要]
宗祖日蓮聖人のご命日忌法要、第739遠忌御会式を営みました。
コロナ対策にはお参りの方の体温を玄関で測定し、記帳。
法要後の御法話は、大分市妙親寺の廣田学良僧正にお願いしました。
身延にお住まいの内藤上人からは身延せんべいをたくさん送って頂いたので、恒例の紅白の小餅と蜜柑とセットで、お参りの方々にお配りしました。ミカンを配るというと、子どもの頃の冬休みに小学校で配られてうれしかったことを思い出します・・山の中ですから貴重でした・・・
お参りの方々には先日人吉にボランティアに行ったことと、その際に見聞きしたことをお話しし、支援のお願いもいたしました。
昨晩FBでもお願いしたところ、早速大山町のKさんが衣類をたくさん届けてくれました。寒くなってますので、少しでも早く届けられればと思っています。
春の彼岸会 [法要]
ついこの間お正月だったのに、もう春の御彼岸を迎えましたね。コロナ騒動で小中高校への全国一律の休校要請があり、中国から部品が届かない影響や外国からの観光客が来日しないなどから始まり、日本でも実体的な経済活動がほぼ停止状態になりました。世界経済を部品製造で下支えし、巨大消費地でもある中国が動けないことから経済活動への不安が起こり、アメリカでの株安が大きな波となってさらに経済への信用不安も引き起こしています。
日本ではそれ以前に韓国との貿易に関する争いがあり、それに加えての入国制限で、中国韓国からの観光客は激減しています。九州でも今やインバウンドによって成り立っている観光地がほとんどと言っても過言ではありませんし、デパートも免税品の顧客として当てにしていた人の往来がなくなって、商機の目処が立たなくなっているのではないでしょうか。
今回のコロナ騒動は思いがけない程のインパクトを与えています。新型であるが故に感染や毒性への不安があり、いつまで続くのか、いつ頃終息するのか等々、不安の種は尽きません。
そういった不安が社会に蔓延しているときだからこそ
政治家には国民に安心を与え、先に進もうという意欲をおこさせる務めがあり、具体的な施策を企画立案する権限が与えられています。
よく政治家は「常在戦場」などと云います。当選しなければ(絶対的な権限を与えられる)議員の職に与らないのですから、「常に選挙を意識して働くべし」というくらいの言葉なのでしょうが、今回のようにさまざまな危機に当たってどう対処するのか、すべきなのか。
「パンデミックが近い将来起こりうる」という概念はすでにあり、現実に2009年にもこの国を襲いました。その知見を元に、政治・医療・経済などのシステムがどう作動したら、感染者や患者を少なくできるのか。まさに「常に危機にどう対処するか」を考えておく必要があり、それがシンクタンクの存在意義だろうと思います。それこそ、森羅万象を分析し対処法を段階的にセットしておく頭脳と場所が必要なのです。今回の騒動で学ぶべきは、法律を泥縄で作るよりも、常に置かれた立場を考え命令し行動できるシステムを作らねばならない、ということですが、
フランス文学者で武道家の内田樹氏はそのコラム(人口減社会の未来学)で、『日本社会には最悪の事態に備えて「リスクヘッジ」をしておくという習慣がないということです。ただ、誤解して欲しくないのですが、僕はそれが「悪い」と言っているわけではありません(そんなこと今さら言っても仕方がありません)。そうではなくて、どんな場合でも、日本人は「最悪の事態」に備えてリスクヘッジする習慣がなく、そういう予測をすること自体を「敗北主義」として忌避するという事実を勘定に入れてものごとを考えた方が実用的ではないかと言っているだけです。日本人というリスクファクターを勘定に入れておかないと適切なリスク管理はできない。』
危機につきもののデマによる買い占めもありました。気候変動による大災害や環境問題も、すでに頻発しています。食糧危機やエネルギー危機もあり得る話です。
もし政治家にその気が無くて政権に危機対処能力が蓄えられないなら、個々人はどうできるのか?ですが、「最悪の事態は起こりうる」ということをどこか胸の奥に置いておく、という方法しか無いのではないでしょうか。それが釈尊の時代から続く「今を生きる」という生き方のような気がします。
最悪の事態は起こりうるが、個々のいのちはもとより集団的ないのちと記憶を伝えよう、なにがなんでも続けるんだという強い意志を共同体が固く強くしっかりと持っていれば、厳しい時代があっても一縷の望みを次世代へ託すことができるのではないか。
人はなかなか理性的に生きられないから、せめて御彼岸の間は心を清め、妬みや貪りの思いをなさないようにしよう・・・怒りや貪りは他人だけでなく自分をも滅ぼしてしまうのだから。日本に限らず、個々のいのちと生き方に深い思いをいたさない人生は虚しいですね。
消毒薬とマスクとお土産と用意して
彼岸法要営みました。予想を裏切る多くの方のお参りがありました。
日本ではそれ以前に韓国との貿易に関する争いがあり、それに加えての入国制限で、中国韓国からの観光客は激減しています。九州でも今やインバウンドによって成り立っている観光地がほとんどと言っても過言ではありませんし、デパートも免税品の顧客として当てにしていた人の往来がなくなって、商機の目処が立たなくなっているのではないでしょうか。
今回のコロナ騒動は思いがけない程のインパクトを与えています。新型であるが故に感染や毒性への不安があり、いつまで続くのか、いつ頃終息するのか等々、不安の種は尽きません。
そういった不安が社会に蔓延しているときだからこそ
政治家には国民に安心を与え、先に進もうという意欲をおこさせる務めがあり、具体的な施策を企画立案する権限が与えられています。
よく政治家は「常在戦場」などと云います。当選しなければ(絶対的な権限を与えられる)議員の職に与らないのですから、「常に選挙を意識して働くべし」というくらいの言葉なのでしょうが、今回のようにさまざまな危機に当たってどう対処するのか、すべきなのか。
「パンデミックが近い将来起こりうる」という概念はすでにあり、現実に2009年にもこの国を襲いました。その知見を元に、政治・医療・経済などのシステムがどう作動したら、感染者や患者を少なくできるのか。まさに「常に危機にどう対処するか」を考えておく必要があり、それがシンクタンクの存在意義だろうと思います。それこそ、森羅万象を分析し対処法を段階的にセットしておく頭脳と場所が必要なのです。今回の騒動で学ぶべきは、法律を泥縄で作るよりも、常に置かれた立場を考え命令し行動できるシステムを作らねばならない、ということですが、
フランス文学者で武道家の内田樹氏はそのコラム(人口減社会の未来学)で、『日本社会には最悪の事態に備えて「リスクヘッジ」をしておくという習慣がないということです。ただ、誤解して欲しくないのですが、僕はそれが「悪い」と言っているわけではありません(そんなこと今さら言っても仕方がありません)。そうではなくて、どんな場合でも、日本人は「最悪の事態」に備えてリスクヘッジする習慣がなく、そういう予測をすること自体を「敗北主義」として忌避するという事実を勘定に入れてものごとを考えた方が実用的ではないかと言っているだけです。日本人というリスクファクターを勘定に入れておかないと適切なリスク管理はできない。』
危機につきもののデマによる買い占めもありました。気候変動による大災害や環境問題も、すでに頻発しています。食糧危機やエネルギー危機もあり得る話です。
もし政治家にその気が無くて政権に危機対処能力が蓄えられないなら、個々人はどうできるのか?ですが、「最悪の事態は起こりうる」ということをどこか胸の奥に置いておく、という方法しか無いのではないでしょうか。それが釈尊の時代から続く「今を生きる」という生き方のような気がします。
最悪の事態は起こりうるが、個々のいのちはもとより集団的ないのちと記憶を伝えよう、なにがなんでも続けるんだという強い意志を共同体が固く強くしっかりと持っていれば、厳しい時代があっても一縷の望みを次世代へ託すことができるのではないか。
人はなかなか理性的に生きられないから、せめて御彼岸の間は心を清め、妬みや貪りの思いをなさないようにしよう・・・怒りや貪りは他人だけでなく自分をも滅ぼしてしまうのだから。日本に限らず、個々のいのちと生き方に深い思いをいたさない人生は虚しいですね。
消毒薬とマスクとお土産と用意して
彼岸法要営みました。予想を裏切る多くの方のお参りがありました。
新春祈願会 [法要]
ぼた餅供養 [法要]
今日はぼた餅供養の日!
日蓮聖人が江ノ島にある龍口の刑場で首を切られようとした御法難ですが、その由来は【『立正安国論』を献じて「正しい教えを国の柱に据えなければこの国は滅びる」と幕府に直訴した大聖人の行いが、世間を騒がすものであると断罪されて、龍の口の刑場で処刑されるために引かれていく途中、それを目にした老婆が供養のためにごま塩のオハギを献じた故事にちなむ法会です。聖人四十九歳の秋のことでした。】と、老婆が聖人へお萩を献じたことに倣うものです。秋ですから本来はお萩ですが、なぜかぼた餅供養と言われています。
鎌倉市にはその故事を伝える常栄寺 があります。
お供えしたお萩は法要後、参列者で食し持ち帰ります。
16年前の画像ですが
今とは比べにならない程の数のお萩の山・・
以前は家で作ったものを持ってくる方がほとんどだったのですが、だんだんとお店で買ったものになり負担も大きいので、一軒当たり5個以内にされるようお願いするようにしました。
お手伝いの方々の顔ぶれも変わり
その頃は法要も私1人で勤めていましたが、今では息子が2人横に並び、賑やかになりました。
日蓮聖人が江ノ島にある龍口の刑場で首を切られようとした御法難ですが、その由来は【『立正安国論』を献じて「正しい教えを国の柱に据えなければこの国は滅びる」と幕府に直訴した大聖人の行いが、世間を騒がすものであると断罪されて、龍の口の刑場で処刑されるために引かれていく途中、それを目にした老婆が供養のためにごま塩のオハギを献じた故事にちなむ法会です。聖人四十九歳の秋のことでした。】と、老婆が聖人へお萩を献じたことに倣うものです。秋ですから本来はお萩ですが、なぜかぼた餅供養と言われています。
鎌倉市にはその故事を伝える常栄寺 があります。
お供えしたお萩は法要後、参列者で食し持ち帰ります。
16年前の画像ですが
今とは比べにならない程の数のお萩の山・・
以前は家で作ったものを持ってくる方がほとんどだったのですが、だんだんとお店で買ったものになり負担も大きいので、一軒当たり5個以内にされるようお願いするようにしました。
お手伝いの方々の顔ぶれも変わり
その頃は法要も私1人で勤めていましたが、今では息子が2人横に並び、賑やかになりました。
本佛寺様にて [法要]
送り火と [法要]
心配された超大型台風10号
皆さん方の地域では如何だったでしょう。
四国から広島岡山方面では特に風が酷かったのではないでしょうか。
大分県西部の当地では暴風域に入ることもなく、
心配した割には穏やかな情勢で推移しましたことは、
ほんとうにありがたいことです。
お盆の精霊様の送り火は、今年から境内で。
15日午後7時から雨の中執り行いました。
古いお位牌とお塔婆をお焚きあげしました
今日は施餓鬼供養
法要後、三男に法話を少ししてもらい
なおらい
台風の影響で、本堂内で29.6℃くらいという、大変涼しいお施餓鬼法要となりました。温度的には毎年このくらいであってほしいです。例年は35℃超えですから・・
皆さん方の地域では如何だったでしょう。
四国から広島岡山方面では特に風が酷かったのではないでしょうか。
大分県西部の当地では暴風域に入ることもなく、
心配した割には穏やかな情勢で推移しましたことは、
ほんとうにありがたいことです。
お盆の精霊様の送り火は、今年から境内で。
15日午後7時から雨の中執り行いました。
古いお位牌とお塔婆をお焚きあげしました
今日は施餓鬼供養
法要後、三男に法話を少ししてもらい
なおらい
台風の影響で、本堂内で29.6℃くらいという、大変涼しいお施餓鬼法要となりました。温度的には毎年このくらいであってほしいです。例年は35℃超えですから・・