被災地の今 [覚え]
今朝は8時集合でチーム大分は天瀬町入りしました。うちからは3名。中津市からも応援が入っております。
現状は
神の釣あたり
ホテルの厨房
こんな岩が道路を流れてきたのです・・
室内は
とりあえずチームは床下の泥出しをしました。
ボラセンが明日掃除後に開設とのことで、ボランティアは少ないですね。
そうそう地元大分県ということで、スーパーボランティアの尾畠さんが来てくれていましたよ。
昼から嫁と私は(国道が通れないので)広域農道経由で行ったのですが、降り続く雨で道路際の崖が崩れるのではないかと心配しながら通行しました。こんなことは初めてです。3年前の朝倉大鶴豪雨では、後々まで降り続くということはありませんでした。今晩も降るとのこと、寝ている間もこわごわです。
現状は
神の釣あたり
ホテルの厨房
こんな岩が道路を流れてきたのです・・
室内は
とりあえずチームは床下の泥出しをしました。
ボラセンが明日掃除後に開設とのことで、ボランティアは少ないですね。
そうそう地元大分県ということで、スーパーボランティアの尾畠さんが来てくれていましたよ。
昼から嫁と私は(国道が通れないので)広域農道経由で行ったのですが、降り続く雨で道路際の崖が崩れるのではないかと心配しながら通行しました。こんなことは初めてです。3年前の朝倉大鶴豪雨では、後々まで降り続くということはありませんでした。今晩も降るとのこと、寝ている間もこわごわです。
2020-07-09 [覚え]
道具が [覚え]
今日は年間行事では「大掃除の日」だったのですが、コロナ騒動で自粛しようとなり、さらに水害も発生して・・ということで、気になるご本尊まわりのみ自分たちで。
半年ぶりに日蓮聖人像や普賢菩薩像、弥勒菩薩像を降ろしてハタキをかけました。
経机の下に巻物があったので広げてみましたら、下の方に「日蓮聖人御正筆」と認められています。お手紙の断簡と言われるものです。昔はお守りにするためにお手紙を細かく切って信徒が所持するという風習がありました。これが本物ならば宗宝指定になるはずですし、先代の住職からの言い伝えがあるはずですがそれはありません。
昭和56年頃に本堂等の修理をした際に、日蓮聖人像はちゃんと立正大学の先生の鑑定を頂いていますから、この掛け軸も一緒に鑑定していただいたはずです。でも、父が私に何も言わなかったということは・・・謎は謎のままがいい・・・のでしょう。
ショックなのは、この巻物のことや弥勒普賢菩薩像の由来を私が忘れているということ。今回再発見したので、息子たちに言い伝えていかねばと思っています。
きれいになった御宝前で婦人会のお勤めを致しました。
で、昼からは
天瀬町の被災状況を確認に走りました。一応各所で通行止めなのですが、「自己責任で」「バイクなら」と通らせてくれました。
もうほとんどの家で道路に泥を出し終えていました。流れが速いので3年前の朝倉大鶴豪雨のようには堆積しなかったようです。土も違いますしね。向こうは真砂土でこちらは黒土です。水とポカリと手袋と差し入れし、少しばかり泥出しのお手伝いをしました。後は泥と家具類をトラックで搬送し、床下に入り込んだ泥と水を掻き出す作業になりそうです。
昼からの作業でかなり歩数を稼ぎました。普段如何に歩いてないかがわかろうというものです。
檀家さん宅には「明日は朝から息子たちをやるから使ってください」と伝えて、辞去。
(なんでも岡山の甥っ子も駆けつけて来てくれるという話になっているそうです)
帰ってDIY店に行ったら、平のショベル売り切れてました。「朝から問い合わせが続いてたし、さっき若い子が2本持って行った」だそうで・・災害の時はそんなもんですよね。なので、土運びように「てみ」というのとデッキブラシを買って明日持参させます。それと、一輪車。
道具がないと、人がいないと始まりません。
半年ぶりに日蓮聖人像や普賢菩薩像、弥勒菩薩像を降ろしてハタキをかけました。
経机の下に巻物があったので広げてみましたら、下の方に「日蓮聖人御正筆」と認められています。お手紙の断簡と言われるものです。昔はお守りにするためにお手紙を細かく切って信徒が所持するという風習がありました。これが本物ならば宗宝指定になるはずですし、先代の住職からの言い伝えがあるはずですがそれはありません。
昭和56年頃に本堂等の修理をした際に、日蓮聖人像はちゃんと立正大学の先生の鑑定を頂いていますから、この掛け軸も一緒に鑑定していただいたはずです。でも、父が私に何も言わなかったということは・・・謎は謎のままがいい・・・のでしょう。
ショックなのは、この巻物のことや弥勒普賢菩薩像の由来を私が忘れているということ。今回再発見したので、息子たちに言い伝えていかねばと思っています。
きれいになった御宝前で婦人会のお勤めを致しました。
で、昼からは
天瀬町の被災状況を確認に走りました。一応各所で通行止めなのですが、「自己責任で」「バイクなら」と通らせてくれました。
もうほとんどの家で道路に泥を出し終えていました。流れが速いので3年前の朝倉大鶴豪雨のようには堆積しなかったようです。土も違いますしね。向こうは真砂土でこちらは黒土です。水とポカリと手袋と差し入れし、少しばかり泥出しのお手伝いをしました。後は泥と家具類をトラックで搬送し、床下に入り込んだ泥と水を掻き出す作業になりそうです。
昼からの作業でかなり歩数を稼ぎました。普段如何に歩いてないかがわかろうというものです。
檀家さん宅には「明日は朝から息子たちをやるから使ってください」と伝えて、辞去。
(なんでも岡山の甥っ子も駆けつけて来てくれるという話になっているそうです)
帰ってDIY店に行ったら、平のショベル売り切れてました。「朝から問い合わせが続いてたし、さっき若い子が2本持って行った」だそうで・・災害の時はそんなもんですよね。なので、土運びように「てみ」というのとデッキブラシを買って明日持参させます。それと、一輪車。
道具がないと、人がいないと始まりません。
情報力 [覚え]
朝からずっとテレビをつけっぱなしで雨の情報を得ようとしていますが、スマホのフェイスブックのほうが早くて多いです。テレビは県内のどの放送局よりもお隣福岡の民放の方が情報が多い!
緊急避難指示が出されても、画像がないので河川がどの程度増水しているのかわからない。だから川に近い人は見に行くのでしょうね。自分の目で見ないとわからないから。
フェイスブックで流れてくる情報を見て一喜一憂しながら今日は過ごしました。一番知りたいのは旧市内の入り口小渕町付近を流れる玖珠川の状態でした。上流2カ所玖珠町と天瀬町で、時間雨量110ミリといいますから溢水して氾濫するのもありかなと・・
昭和28年の大水害もその場所から氾濫したと耳がタコになるくらい聞いてきました。でも有線放送でもテレビでも中々その場所の画像が流れてこないのです。昼過ぎになってスマホ情報で大体の状況がつかめました。スマホの主は「覚悟を決めた」とつぶやいていましたが、その時が一番水量が多かったようで、その後雨も小康状態になり旧市内の大半は事なきを得ています。
あと1時間線上降水帯が居座っていたら人吉と同じ結果になっていたんだろうと想像します。これだけの降水量だとどこで同じことが起こってもおかしくありません。
川幅が極端に狭い天瀬町では1階軒下くらいまで水が上がっているようです。濁流が轟々と流れて鉄橋が流れ道路が陥没している場所もあります。
雨が上がり水が引いて道路が使えるようになったら、もっとたくさんの場代で被害があっているのがわかるかもしれません。
片付けの手伝いが早くできるように、雨が梅雨が上がることを祈ります。
緊急避難指示が出されても、画像がないので河川がどの程度増水しているのかわからない。だから川に近い人は見に行くのでしょうね。自分の目で見ないとわからないから。
フェイスブックで流れてくる情報を見て一喜一憂しながら今日は過ごしました。一番知りたいのは旧市内の入り口小渕町付近を流れる玖珠川の状態でした。上流2カ所玖珠町と天瀬町で、時間雨量110ミリといいますから溢水して氾濫するのもありかなと・・
昭和28年の大水害もその場所から氾濫したと耳がタコになるくらい聞いてきました。でも有線放送でもテレビでも中々その場所の画像が流れてこないのです。昼過ぎになってスマホ情報で大体の状況がつかめました。スマホの主は「覚悟を決めた」とつぶやいていましたが、その時が一番水量が多かったようで、その後雨も小康状態になり旧市内の大半は事なきを得ています。
あと1時間線上降水帯が居座っていたら人吉と同じ結果になっていたんだろうと想像します。これだけの降水量だとどこで同じことが起こってもおかしくありません。
川幅が極端に狭い天瀬町では1階軒下くらいまで水が上がっているようです。濁流が轟々と流れて鉄橋が流れ道路が陥没している場所もあります。
雨が上がり水が引いて道路が使えるようになったら、もっとたくさんの場代で被害があっているのがわかるかもしれません。
片付けの手伝いが早くできるように、雨が梅雨が上がることを祈ります。
氾濫危険水位を超さないように [覚え]
当地を流れる筑後川。上流部ですので三隈川といいますが、福岡・熊本と県境を接している山間部で雨量が多くなっています。先ほど氾濫危険水位を超すのではと避難警報が鳴りはじめました。とりあえず今晩が峠でしょうか。線上降水帯が活発に活動しないことを祈るばかりです。
外に出て見るわけにもいかず、降り止まない雨の音を聞きながらテレビとスマホの情報が頼りです。
ただ当寺は氾濫マップでも少し土地が高くなっているので、前の避難所である小学校よりも安全です。
外に出て見るわけにもいかず、降り止まない雨の音を聞きながらテレビとスマホの情報が頼りです。
ただ当寺は氾濫マップでも少し土地が高くなっているので、前の避難所である小学校よりも安全です。