林えいだい [研修会]
きょうは「宗教者9条の会・大分」の総会並びに講演会で、大分市へ。
総会だけではもったいないので、大分大学名誉教授 森川登美枝氏の講演と記録作家故林えいだい氏の「抗い」を鑑賞する手はずにしておりました。
森川氏は林えいだい氏の遺志を継いで「ありらん文庫」の管理者となった方であり、生前取材にも長年同行されたとのこと。
残念ながらDVDはパソコンとのマッチングが悪く見ることはできませんでしたが、30分の講演予定を1時間半に、軽やかなお声で生前の林えいだい氏が眼前に甦るように、お話を進めてくださいました。
講演終了後、関係者6名で先生を囲んでランチ。またまたそこでも先生ご自身の専門である中国文学や今取り組んでいるという韓国語について、話が弾んだことでした。
総会だけではもったいないので、大分大学名誉教授 森川登美枝氏の講演と記録作家故林えいだい氏の「抗い」を鑑賞する手はずにしておりました。
森川氏は林えいだい氏の遺志を継いで「ありらん文庫」の管理者となった方であり、生前取材にも長年同行されたとのこと。
残念ながらDVDはパソコンとのマッチングが悪く見ることはできませんでしたが、30分の講演予定を1時間半に、軽やかなお声で生前の林えいだい氏が眼前に甦るように、お話を進めてくださいました。
講演終了後、関係者6名で先生を囲んでランチ。またまたそこでも先生ご自身の専門である中国文学や今取り組んでいるという韓国語について、話が弾んだことでした。
日出生台演習場 [研修会]
憲法九条を守る日田の会の学習会として、今秋は隣町の日出生台演習場を選びました。
「DVD視聴と衛藤洋次さんのお話を現地で聞く」会です。
集合場所の玖珠の道の駅横には、駐屯地から演習場への戦車道が通っています。インター降りてすぐの国道を横切る形になっています。その道路は鉄板を敷いた上にセメント厚が40㌢の舗装をしてあるそうです。私もたまたま一度だけ戦車が通る場面に出くわしたことがありますが、それはすごい音です。その時はヘルメットを被っていたのですが、轟音と震動がすごくて、何事か?!って思いましたね。
ここは演習場帰りに戦車が川に落ちて指令者が死亡した場所だそうです。その当時の戦車は操縦士は直に外を見ることができないので指令者の指示のままに操縦していたのだと。指示が遅れるか操縦がおくれるかどうかで、曲がり損ねたようです。道路は普通の2車線分しかないですし、急カーブになっています。ガードレールに花を生ける筒が結びつけられてありました。
公民館で、地元テレビ局が編集作成した番組のDVDを視聴し、
長年地元で反対運動に携わってこられた衛藤洋次さんのお話をうかがいました。
「一緒に始めた人たちは20人くらいいたけど皆辞めていった。」
でも、「洋ちゃんが頑張るなき、俺たちもがんばれる」と言ってくれる知人や友だち
「活動をしていると友だちが集まってきてくれる。人と触れ合える。それが財産」
「ワシは2度結婚してるけど、2度目の今の嫁は(米軍)海兵隊への反対運動があったから結ばれたし、長男も授かった。ある意味海兵隊のお陰じゃ。」
「最大の賞賛は、変な人間だ!」と言われること。
「沖縄にも行ったことあるけど、反対運動しているオジイオバアがえらい元気やった。ワシも見学に来た人たちが元気になって帰ってもらいたい。」
「演習があるとテレビで取り上げられる。それは地元で頑張って反対運動している者がいるからだとワシは思う。ワシや浦田が、たった2人でもおるから取り上げてくれるんやと。」
「あんたたちも、小さな不合理を見逃さんでください。」
「お互い頑張ろうな!」
話の通り、たくさんの元気をいただきました。
ブラタモリの放送で使われた場所から演習場を見ることができました。普段は入れない場所なのだそうです。
帰りは湯布院方面に降りて
もう1人の闘士浦田さんがやっているNPOの「原っぱカフェ」で
ランチをいただいて、現地解散。もちろんそれぞれに思い思いの料金を払って・・・
「DVD視聴と衛藤洋次さんのお話を現地で聞く」会です。
集合場所の玖珠の道の駅横には、駐屯地から演習場への戦車道が通っています。インター降りてすぐの国道を横切る形になっています。その道路は鉄板を敷いた上にセメント厚が40㌢の舗装をしてあるそうです。私もたまたま一度だけ戦車が通る場面に出くわしたことがありますが、それはすごい音です。その時はヘルメットを被っていたのですが、轟音と震動がすごくて、何事か?!って思いましたね。
ここは演習場帰りに戦車が川に落ちて指令者が死亡した場所だそうです。その当時の戦車は操縦士は直に外を見ることができないので指令者の指示のままに操縦していたのだと。指示が遅れるか操縦がおくれるかどうかで、曲がり損ねたようです。道路は普通の2車線分しかないですし、急カーブになっています。ガードレールに花を生ける筒が結びつけられてありました。
公民館で、地元テレビ局が編集作成した番組のDVDを視聴し、
長年地元で反対運動に携わってこられた衛藤洋次さんのお話をうかがいました。
「一緒に始めた人たちは20人くらいいたけど皆辞めていった。」
でも、「洋ちゃんが頑張るなき、俺たちもがんばれる」と言ってくれる知人や友だち
「活動をしていると友だちが集まってきてくれる。人と触れ合える。それが財産」
「ワシは2度結婚してるけど、2度目の今の嫁は(米軍)海兵隊への反対運動があったから結ばれたし、長男も授かった。ある意味海兵隊のお陰じゃ。」
「最大の賞賛は、変な人間だ!」と言われること。
「沖縄にも行ったことあるけど、反対運動しているオジイオバアがえらい元気やった。ワシも見学に来た人たちが元気になって帰ってもらいたい。」
「演習があるとテレビで取り上げられる。それは地元で頑張って反対運動している者がいるからだとワシは思う。ワシや浦田が、たった2人でもおるから取り上げてくれるんやと。」
「あんたたちも、小さな不合理を見逃さんでください。」
「お互い頑張ろうな!」
話の通り、たくさんの元気をいただきました。
ブラタモリの放送で使われた場所から演習場を見ることができました。普段は入れない場所なのだそうです。
帰りは湯布院方面に降りて
もう1人の闘士浦田さんがやっているNPOの「原っぱカフェ」で
ランチをいただいて、現地解散。もちろんそれぞれに思い思いの料金を払って・・・
京大教授 芦名先生講演会 [研修会]
芦名定道先生 講演会 [研修会]
ピア・サポート研修 [研修会]
一昨晩、花粉症の影響もあって寝てるときに頭の芯が痛くなるので、マスクをしているのですが・・なんだか鼻が半分詰まって息苦しくて寝られませんでした。結局口呼吸でなんとか息をしたのですが・・苦しいですね。先日母が急性ぜんそくで施設から病院へ緊急搬送されたのですが、深く息が出来ないってこんなに苦しいのだと、実感しました。結局は風邪だったのでお薬を服用したらすっかり楽になりました。
で、今日は保護司会の自主研修の日。「聴くことの大切さ」ということで、宇佐高田保護区の事務局長さんに講義いただきました。
「聴く」と「聞く」と文字は二つありますね。私としては、仏教的には聞くが聞法とか聞香という言葉からすれば意識的に頭で分別できる方法であり、聴くは音楽を聴くというふうな心や魂で捉えるものなのかなと思いますが
今日の研修では相手を尊重することを大前提に
1. 傾聴技法として「そうなんだ法」「オーム返し法」
2. アサーション ごめんなさい→理由→代替案
3. リフレーミング(言い換え)スキルの活用
4. サポートとレスキューの違い
5. I メッセージと You メッセージの違い
を、具体的にワークショップ形式で学びました。
相手の魂を開くことを優先するためにはやはり聴くということに落ち着くわけですね。勉強になりました。
で、今日は保護司会の自主研修の日。「聴くことの大切さ」ということで、宇佐高田保護区の事務局長さんに講義いただきました。
「聴く」と「聞く」と文字は二つありますね。私としては、仏教的には聞くが聞法とか聞香という言葉からすれば意識的に頭で分別できる方法であり、聴くは音楽を聴くというふうな心や魂で捉えるものなのかなと思いますが
今日の研修では相手を尊重することを大前提に
1. 傾聴技法として「そうなんだ法」「オーム返し法」
2. アサーション ごめんなさい→理由→代替案
3. リフレーミング(言い換え)スキルの活用
4. サポートとレスキューの違い
5. I メッセージと You メッセージの違い
を、具体的にワークショップ形式で学びました。
相手の魂を開くことを優先するためにはやはり聴くということに落ち着くわけですね。勉強になりました。
ふれて下さい戦争に [研修会]
今日は福岡県小竹町の「兵士と庶民の戦争資料館」副館長
武富慈海氏を招いて「ふれて下さい戦争に」と題して
お話しをいただきました。
例えば、家で飼われていた犬猫が兵隊さんの防寒着の用に供されていた話とか
実際に戦争で使われたものなどを通じて学ぶ、ということです。
ご本人は戦争経験者ではないのですが、お父さんが1977年に「還暦祝いはしてくれなくて良いから、その代わりに保存している戦争資料を展示するものが欲しい」との要望で始められた施設を運営、請われて講演もしているのだと。
ずっとお父さんのそばでお話を聞いていたので、ご自身が経験したように再現できるそうです。でも、質問を受けるときには「私が答えられないような質問の方が良いです。もっと勉強して答えられるようにしますから」という謙虚な方でもあります。
お釈迦様のそばで一番説法を聞いて、十大弟子の中でも多聞第一とうたわれた阿難尊者のような方でした。
武富慈海氏を招いて「ふれて下さい戦争に」と題して
お話しをいただきました。
例えば、家で飼われていた犬猫が兵隊さんの防寒着の用に供されていた話とか
実際に戦争で使われたものなどを通じて学ぶ、ということです。
ご本人は戦争経験者ではないのですが、お父さんが1977年に「還暦祝いはしてくれなくて良いから、その代わりに保存している戦争資料を展示するものが欲しい」との要望で始められた施設を運営、請われて講演もしているのだと。
ずっとお父さんのそばでお話を聞いていたので、ご自身が経験したように再現できるそうです。でも、質問を受けるときには「私が答えられないような質問の方が良いです。もっと勉強して答えられるようにしますから」という謙虚な方でもあります。
お釈迦様のそばで一番説法を聞いて、十大弟子の中でも多聞第一とうたわれた阿難尊者のような方でした。
「アメリカ人の若者が [研修会]
考える平和とは」という演題で
ALTの若者に語ってもらう勉強会、九条の会日田主催で開催しました。
カリフォルニア出身の○レバー君、昨年大分県に赴任してきました。そこで九条の会のKさん出会いました。Kさんに連れられて長崎に行ったのですが、そこは彼の祖父が兵士として被爆後すぐに訪れた地だったのです。
祖父は10数枚の写真を撮り、故郷のお母さんに送っていましたが、彼がその事を知ったのは長崎に来てからのこと。来日するまでは祖父の戦争体験を知る機会がなかったけれど、来日してすぐに、全くの偶然で祖父の足跡を辿っていたのです。
彼は、祖父の生い立ちから、復員してからのことなどを家族に問わず語りに聞いていたそうで、南部の貧しい家に生まれた白人の祖父が人種差別に対して反対していたことや、「戦争は政府がやることであり、戦地では兵士は殺し殺される立場だけれど、恨みや憎しみを引きずるべきではない」ということを語っていたのだそうです。
後半は、彼が大学で学んできたことのお話しでした。ハワイ大学で言語学を学び、ALTを終えたあとは沖縄で、うちなんぐち(沖縄方言)をちゃんと学びたいのだそうです。ハワイでは現在ハワイ語という古語復活運動から生き方そのものの見直しという活発な動きがあるけれど、日本や沖縄ではほとんどと言って良いほど顧みられていない沖縄言葉を研究したい、のだと。「日本人は英語を一生懸命勉強しているけれど、自分たちの失われていく言語をもっと大事にして欲しい」とポロッと、語っていたのが印象的でした。
「過去をちゃんと知り、今を生きる」大事ですよね。
ALTの若者に語ってもらう勉強会、九条の会日田主催で開催しました。
カリフォルニア出身の○レバー君、昨年大分県に赴任してきました。そこで九条の会のKさん出会いました。Kさんに連れられて長崎に行ったのですが、そこは彼の祖父が兵士として被爆後すぐに訪れた地だったのです。
祖父は10数枚の写真を撮り、故郷のお母さんに送っていましたが、彼がその事を知ったのは長崎に来てからのこと。来日するまでは祖父の戦争体験を知る機会がなかったけれど、来日してすぐに、全くの偶然で祖父の足跡を辿っていたのです。
彼は、祖父の生い立ちから、復員してからのことなどを家族に問わず語りに聞いていたそうで、南部の貧しい家に生まれた白人の祖父が人種差別に対して反対していたことや、「戦争は政府がやることであり、戦地では兵士は殺し殺される立場だけれど、恨みや憎しみを引きずるべきではない」ということを語っていたのだそうです。
後半は、彼が大学で学んできたことのお話しでした。ハワイ大学で言語学を学び、ALTを終えたあとは沖縄で、うちなんぐち(沖縄方言)をちゃんと学びたいのだそうです。ハワイでは現在ハワイ語という古語復活運動から生き方そのものの見直しという活発な動きがあるけれど、日本や沖縄ではほとんどと言って良いほど顧みられていない沖縄言葉を研究したい、のだと。「日本人は英語を一生懸命勉強しているけれど、自分たちの失われていく言語をもっと大事にして欲しい」とポロッと、語っていたのが印象的でした。
「過去をちゃんと知り、今を生きる」大事ですよね。